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こんにちは、キクです。
みなさん、「瞑想」についてどのようなイメージを持たれますか?
なんとなく「怪しい」と思ってしまう人も多いかもしれませんね。
また「難しそう」と感じる人もいるかもしれません。
僕はこれまで瞑想に何度かチャレンジしたことがありますが、挫折してきた人間です。
そういった意味では「難しそう」はあながち間違っていないのかもしれません
ただ、そんな僕でも今は瞑想を続けることができています。
その理由は、瞑想に求めるものがシンプルになったからです。
というわけで、今回は『瞑想に何を求めるか』をテーマに書いていきたいと思います!
それでは、よろしくお願いします。
瞑想の習慣化に失敗していた時に僕が瞑想に求めていた効果
僕はこれまで「瞑想」という行為を習慣にしようと何度かチャレンジしたことがあります。
瞑想を行うことで得られるメリットは多数存在するという情報をよく目にしていたからです。
以下はほんの一部ですが、一般には次のようなメリットが得られるとされています。
いいことしかないですよね。
そうなんです。
瞑想の持つポテンシャルは非常に高いんです。
僕も少し前までこれらを目的として何度か瞑想にチャレンジしてきました。
「なんとしてでも瞑想を習慣化してやる!!」と。
ただ、なかなか続けられなかったんですね。
目まぐるしく過ぎ去っていく日常を、瞑想によってゆとりあるものにしたい。
そんな思いもあったのですが…。
なぜ習慣化できなかったのか
僕は何かを習慣化することは比較的得意な方だと思っています。
でも「瞑想」についてはなかなか習慣化できていませんでした。
それはなぜなのか?
僕が思うに、数あるメリットを得ようとしすぎていたのではないかと思います。
瞑想に対してあれこれ目的意識を持ちすぎたのだと。
何かを取り組む際には目的意識を持つことは非常に重要です。
一方で、瞑想においてはそれらの目的意識が「雑念」に変わってしまったと個人的には思いました。
瞑想という行為において「雑念」は可能な限り取り除きたいですよね。
瞑想に大きな期待を寄せる思いの強さが、逆に瞑想の質を低下させていた。
なんともまあ・・・。
あとは、どうしても時間を消費している感が拭えませんでした。
瞑想で得られるとされるメリットのほとんどが「抽象的」「感覚的」なものになります。
目に見える形として結果が見えるものではないので、「本当に意味あるんだろうか?」と考えてしまいます。
そうなってくると「時間がもったいないな…」と感じてしまっていました。
このあたりが僕が瞑想の習慣化に失敗していた要因かなと思います。
今の僕が瞑想に求めているのは「脳の休息」
最近僕は読書にハマっていて、こんな本と出会いました。
この本は、主人公"ナツ"を中心としたストーリー形式で構成されています。
「瞑想ってどうやればいいのか」
「瞑想なんてやって意味があるのか」
そんなモヤモヤも解消してくれます。
主人公"ナツ"が瞑想に対して抱く感情はネガティブなものでした。
しかし、とある人物と出会って瞑想に取り組んでいくうちに自身を含め周囲の環境が好転し始める。
そしてどんどん瞑想にのめり込んでいく。
この本の著者が医師であることから情報の信頼性は高いのですが、全く堅苦しくありません。
そして、ストーリ形式で展開されることで自然と瞑想に対する興味や理解が高まります。
僕はこの本を読んで「瞑想」に求めるものが変わりました。
何を求めるようになったのか?
それは「脳の休息」です。
本のタイトルにもあるように、瞑想は「最高の休息法」だったんですね。
今の世の中、仕事ではもちろんですが、SNSなどでも僕たちは非常に多くの情報に触れますよね。
そんな環境に身を置き続けることで、知らない間に「脳」が疲れいるのだと気付くことができました。
「なんか分からないけど疲れている感じがする…。」
そんな感覚に覚えのある人も多いと思いますが、それは脳疲労のサインだったんですね。
瞑想で「脳」を休める
既に書きましたが、僕は瞑想に「脳の休息」を求めるようになりました。
以前のようにたくさんの効果を期待するのではなく、現在はこの1つだけを求めて瞑想に取り組んでいます。
生活に瞑想を取り入れてから3週間程度になりますが、無理なく自然に継続できています。
継続できるようになった要因は、瞑想に取り組む目的がシンプルになったこと。
自分にとって優しい時間を過ごす。
ただそれだけです。
「集中力を高めたい」
「ポジティブになりたい」
きっとそれらを追い求めて瞑想に取り組んでも長続きはしません。
実際に僕がそうでした。
瞑想は自分の脳をただただ休める時間にする。
そうして継続していくことで、結果的に「集中力の向上」や「メンタルの変化」に繋がっていくのだと今では思うことができています。
「集中力を高めるために瞑想をする」ではなく、「瞑想を継続していたら集中力が高まった」となるように。
本来あるべき姿はきっと後者の形なのではないかと思いました。
僕は今後も「脳の休息」のために瞑想を続けていくつもりです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は「瞑想に何を求めるか」がテーマでした。
人それぞれ瞑想に求めるものは違うかもしれません。
僕の場合は「脳の休息」が瞑想に取り組む目的です。
あれこれ求めすぎるのではなく、もっとシンプルに。
本記事では「瞑想」を題材にしましたが、この考え方は他のさまざまなものにも共通するかもしれないと感じました。
本記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ではでは!